中岡慎太郎 のバックアップ(No.1)
中岡慎太郎とは、土佐藩士の一人である。 生涯
土佐国安芸郡北川郷の大庄屋の家に生まれた。幼名は福太郎、名は為鎮といったが、本稿では一貫して「慎太郎」で解説するものとする。安政初年に高知城下に留学し、儒学を真崎鉄馬に、剣を武市瑞山に学んだ。1857年(安政四年)には北川豪大庄屋の見習いに就任し、父をよく助けた。 しかし、大政奉還後の同年11月15日、京都川原町蛸薬師の宿・近江屋で龍馬と会談中、誰とも知れぬ者三人(現在は京都見廻組の今井信郎、渡辺篤、佐々木只三郎という説が根強い)の襲撃を受ける。龍馬は額を割られて即死し、中岡も重傷を負った。一度は軽食を摂れるまでに回復したが、襲撃から二日後の夕方に容体が悪化し、吐血。後事を陸援隊の同志・田中光顕に託して事切れた。享年30歳。京都霊山護国神社に坂本龍馬とともに墓が建てられ、祭られている。 コメント
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